クシロ薬局

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キャッツクロー

?(ペルー季刊誌 エルドラード1995年12月発刊)

「ウーニャ・デ・ガトペルージャングルの奇跡」より

 

ウーニャ・デ・ガト(キャッツ・クロー)として知られているアマゾンの蔦の名声は世界を駆け巡った。

ペルーがその原産地であって、関節炎、リウマチ、糖尿病、良性及び悪性腫瘍の治療に用いられている。

ごく最近では、その免疫上のメリットが明らかになり、エイズのような現代の悪疫とも戦い得ると多くの人々は考えている。16世紀の初めにスペイン人はバイブルと火縄銃で武装し、タワンティンスーヨ(Tawantinsuyo)と言うインカ帝同の境界線に到着した。彼らは海岸沿いの砂漠のオアシスと海抜数千メートルの高地に健てられた石の巨大な町の間に沢山の古代の雄大なモチカ(Mochica)ピラミッドがあるのを知ることなったが、彼らはアンデス山脈の東側がアマゾンの密林に下りていることについてはほとんど気づいていなかった。

しかし、ヨーロッパ人が来る2世紀前に、インカは、熱帯植物に覆われた海抜500から2,000メートルのほぼ垂直の山々の斜面に住みついた。そこは、軍事的に安全な地域であり、そして金が川に満ちていた地域であった。そしてそのアッパー・ジャングル(Upper Jungle)はアルカロイドが繁茂する地帯である。

この肥沃なジャングル地帯は、原住民が遠い昔から体や魂を癒すために使用してきた沢山の植物はもちろんのこと、スペイン人がもたらした茶やコーヒー、そしてたばこと、特にペルーの古代住民が神聖視したコカの栽培に理想的であることがわかった。

これらの植物にウーニャ・デ・カトがある。この植物が伝承薬として用いられたのはずっと昔に遡る。

コロンブス以前のペルー人はこの植物は魔法の様な健康のお守りと考えた。

今日のペルー人はリウマチや腫瘍を治療するために、蔓を覆っている樹皮を煎じてお茶の様にして飲んでいる。

近年のオーストリア、イタリー、ドイツ、アメリカ合衆国及びペルーでの研究により、この驚くような治癒力はその酸とアルカロイドの成分に由来していることが判っている。

この植物の細胞活動抑止作用は明らかにがん細胞を抑制することができる。

同時に食菌作用を増加させるために免疫力を高めるので、おそらくaidsにたいする新しい兵器になる可能性を持っている。

ともかく今日、ペルーの産物で、17世紀に高熱の特効薬キニーネが世に出て以来ウーニャ・デ・カトほど国際的に話題をさらっものはない。

先日も有名なドミニカのテレビドラマの俳優アドレス・ガルシアが記者会見で、前立線がんから完全に回復たのはアッパー・ジャングルの巨大な蔦のお陰であると話した。その1週間後ニューヨークのWADOラジオ局が長いインターユー番組で、ペルーの中央銀行の元理事として有名なマヌエルモレイラ・ロレトは凍結乾燥したウンカリア錠を服用し、肺や脳の悪性腫瘍から劇的に完治したと語った。

ウーニャ・デガトはいろいろなアマゾンの種族によって使用されてきた。

しかし、最初の科学的な研究、免疫系の病気及び炎症に対する薬としての適用は、ペルーで結婚し家族を持ち、半世紀チャンチヤマーヨ(Chanchamayo)のジャングルに住んでいたドイツ人のパイオニアに依るものである。

彼の名はアーサー・ブレルという。

アーサー・ブレルは1904年アッパー・ババリアに生まれ、ミュンヘンで自然科学を学んだ。

若いブレルはエキゾチックなアメリカのアステカやインカを夢見ていたが、1926年にこの夢が現実となる機会が訪れた。

当時ポズソにあるドイツ人の入植地山のリーダーをしていたシャツファーという牧師が彼にペルーへ行って学校を設立し、地域原住民を西洋風に教育してやってはと提案した。

到着してから3年で、ブレルはチャンチヤマーコでコーヒーを栽培して成功した。

そこで彼はカンパやアムエッシャ族というインディオと隣り含って住んでいたため、地域原住民の習慣に精通するようになった。

そのなかで、彼は次の事に気づいた。

彼らは、日常料理のたき火の煙と、ほとんどの食べ物を焼いている炭の、両方のタールに含まれている発がん物質にさらさしているにもかかわらずがんの病気にならない。

何年もかけて苦労して調べた結果、この謎は基本的に彼らの強力な免疫力によるものであるという結論に達した。ブレル自身もすでにウーニャ・デ・カトの抽出物を摂っていて長い問わずらっていたリウマチの症状がなくなり、顔色も良く、髪の毛の伸びが早くなった。

入植者で彼の友達のシュレーが肺がんの末期で絶望的になって彼のところに助けを求めて来た。

それが記念すべき時となった。

彼を看ていた医者がとても信じられないことに、1,2年間不思議な植物調整物を投与されたことによってその病人が全快したのだ。

彼が88才になってほかの原因で死ぬまで、ヴィラ・リガにある彼の息子たちの熱帯製材所でいっしょに働いた。

彼を知っている者によれば彼は自分で作ったたばこを時折吸っていたという。

1974年シュレーはアーサー・ブレルに礼状を書いているがそれには「あなたにお世話になったハーブ抽出物がなければ、医者によって末期と診断されてから4年も経った今日まで生きてはいなかっただろう。」と書かれていた。

 

(アントニオ・シスネロス記)

在日ペルー大使館広報室

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