「科学とは、一つの規律のようなものである。そこでは、前の世代の天才たちが到達した地点を、次の世代となれば、愚か者でも乗り越えることができるからだ」かつてこう語ったのは、人類学者のマックス・グルックマンである。
熱力学の第一法則と第二法則は、物理学の初歩で学ぶが、ごく単純で当たり前なように思われる。
この法則が発見されるまでの道程は険しく、複雑な理論を駆使し、精繊な精神で幾度となく静思し、瞑想しなければならなかった。
ところがおもしろいことに、この二つの法則の持つ意味について科学者が苦労しているのに、日常生活では、すでに熱力学の法則が確立されていたのである。たとえば、次のような言葉ならだれしも耳にしたことがあるだろう。
もし、これらの格言をよく知っていて、しかも日常の体験から、たるほどと思うことが多けれこうした格言は、そもそも東洋思想、それも仏教や老子の哲学に基づいたものなのである。
だから、熱力学と聞いただけで、えらくややこしいように思われるかもしれないが、こういった東洋思想の強い影響下にある国の人々にとっては、この法則は「自明の理」と認める社会的メンタリティーが、すでに存在する。
たとえば、現在、最も進んだ工業国の一つに日本があるが、この国の行動原理の大きな指針の一つしやかは、依然として「釈迦の教え」や「老子の思想」にあると言っても過言ではたい。
そのため、「エントロピーの法則」を、部分的にではあるが、その行動様式の中に組み込んできた社会だとみてよい。それかあらぬか、先進工業国の中にあって、真っ先に公害問題と取り組み、その解決の糸口を発見したのは日本であり、それにともない、その経済的発展も他国に比べて顕著なものがあるわけである。
すべての物体は、エネルギーの量的象徴にすぎないところで、科学的概念のうちでこれくらい簡単なものはないし、また、これくらい「いかにも」と思えるものもない。
さて、熱力学の二法則は、ともに次のようにごく簡単に説明がつく。「宇宙における全エネルギーの総和は一定で(第一法則)、全エントロピーは絶えず増大する(第二法則)」ふえん第一法則をさらに敷術すると、エネルギーは創成することも消滅することもない、ということになしゆうえんる。
時が始まって以来、宇宙におけるエネルギーの全総和は一定であって、時が終焉を告げるまで不変であろう。
この熱力学の第一法則は、先述のように「エネルギー保存の法則」とも呼ばれていて、エネルギーは創成し、また消滅することはないが、ある形態から別の形態に変換することは可能だ、と言い換えることができる。
アイザック・アシモフ(1920〜 ロシア生まれのアメリカの生化学者、著述家)は、簡単な例を挙げて次のように説明している。「あの量の熱を取り入れ、それを仕事に変える、と仮定してみよう。こうしても、熱は消滅したことにはならず、それを別の場所に移したか、あるいは別のエネルギー形態に変換したにすぎない」もっと具体的な例として、自動車のエソジンを採り上げてみよう。
この場合には、ガソリン中のエネルギーは、「エソジンによって作り出された仕事に、発生した熱と排気ガス中のエネルギーを加えたもの」に等しいということにたる。
永久運動をする機関を開発しようとした試みがすべて失敗したように、無からエネルギーを作り出すことに成功した人間は、たしかにいまだかつていなかったし、今後もこれは不可能である。人間にできることといえば、エネルギーをある状態から別の状態に変えることでしかない。
事実、存在する一切のものの姿、形、そして動きは、エネルギーをさまざまに集中・変換した結果が具体的な形となって現われているにすぎない(これを陸上にストックされたエネルギーと呼ぶ)。
人間にしろ超高層ビルにしろ、また自動車にしろ一本の草にしろ、これらはすべて、ある状態から別の状態へ変換されたエネルギーの量を表わしている。
超高層ビル、あるいは一本の草が出来上がるためには、どこか別の所から摂取したエネルギーが使用されているはずだ。
また、超高層ビルが取り壊されたり、一本の草が枯れるときにも、このエネルギーは消滅しない。これは単に環境のなかで、エネルギーが別の場所に移動したにすぎないわけである。
エントロピーの増大とは、使えないエネルギーの増加を指す「太陽の下に新しきものはなし」という言葉がある。
もし、あなたが呼吸を行なえば、その息のなかには5000万個の分子が含まれているという観点では、かつてプラトンが吸ったのと同じというわけだ。
熱力学の第一法則だけを考えてみても、エネルギーを使い果たさずに、何度も何度もエネルギーを使用する方法などない、ということは直感的にわかることである。
たとえば、石炭を燃やしてみよう。
エネルギーは得られても、二酸化硫黄やその他のガスが発生して、空気中に拡散する。
その過程においてエネルギーが失われることはないものの、一度燃やした石炭をまた燃やすことはできないし、ましてや同量の仕事を得ることはできない。
そして、これを科学的に説明できるのは、熱力学の第二法則の他にはない。
第二法則は、エネルギーが、ある状態から別の状態へと変わるたびに、将来、なんらかの仕事を行なうのに必要な「使用可能なエネルギー」が失われてしまう、というものだ。
エントロピーと呼ばれるものは、このことを指し、もはや仕事に変換することのできないエネルギー量の度合いなのである。
つまり、エントロピーが増大するということは、「使用不可能なエネルギー」が増えるということを意味している。自然界で何かが起こるたびに、将来たんらかの仕事をするためのエネルギーが使用不可能となる。
そして、この使用不可能なエネルギーの最たるものに公害がある。
また産業廃棄物も、浪費されたエネルギーと言える。
熱力学の第一法則によれば、エネルギーは創成することも消滅することもなく、可能なことは変換するだけでしかない。
また第二法則によれば、エネルギーは一つの方向、すなわち使用された状態にしか変換できない。
この点からして、公害とは、まさしくエントロピーに与えられた別名で、いってみれば、ある「系」のである。(相互関連を持った反応システム)に現われた使用不可能なエネルギーの量を示す地球上には二種類のエネルギーが存在するさて、エントロピーという言葉を考え出したのは、ルドルフ・クラウシサス(1822〜88 ドイツの物理学者)であるが、クラウジウスは、「閉ざされた系」(外部に広がっていかたい反応システム)へいこうのなかでは、エネルギー・レベルに違いがあれば、常に平衡状態へ向かうということを発見した。
たとえば、暖炉から熱い知掛き棒を取り出したことのある人なら、だれでもクラウジウスが定式化ひ力したのと同じことを観察するにちがいない。
真っ赤に焼けた火掻き棒を暖炉から取り出して空気中にさらすと、火揖き棒が冷えるにつれて、周りの空気が熱くなる。これは熱というものが、常に熱い物体から冷たい物体のほうへ流れるからである。
そして最後には、火掻き棒も周りの空気も同じ温度になってしまう。
このように、エネルギー・レベルに差がなくたった状態を平衡状態と呼んでいる。
この状態は、静止している水の状態と同じである。いずれにしろ、冷えきった火掻き棒も静止した水も、もはや有益な仕事を行なうことはできない。
そのエネルギーは、束縛されたエネルギーないしは使用不可能なエネルギーである。
だからといって、その水をダムに汲み上げて再び落下させることができないとか、あるいは火掻き棒を再び熱することができないということにはならない。
しかし、どちらの場合も、その過程において、自由な、あるいは使用可能な新しいエネルギーが消費されなければならない。
平衡状態とは、ニソトロビーが最大になったときの状態で、そこには別の仕事を行たうのに使用できる自由なエネルギーは、もはや存在しない。
クラウジウスは「世界において、エントロピー(使用不可能なエネルギーの量)は常に最大へと向かう傾向がある」と結論して、熱力学の第二法則を定式化したのである。
ところで、この地球上には、陸上のストックと太陽からの日射という二つの使用可能なエネルギーた源がある。
そして、太陽エネルギーは、一秒経つことに力が弱まりはするものの、地球上の使用可能なストックが完全に使い尽くされた後々まで、そのエントロピーが最大に達することはない。
これに対し、陸上にストックされたエネルギーを使えばどうなるのか。
たとえば、タバコに火をつけるたびに、地球上の使用可能なエネルギーは減少する。
もちろん、水をよりエントロピーの低い氷の状態にできるように、特定の状況においては、人為的にエントロピーの流れを逆にすることは可能である。
だが、この場合には、電力などの他のエネルギーが多量に必要となる。
したがって、この場合においても、地球上の全エントロピーは増大することになる。
地球は、宇宙から物質的恩恵を受けることはないリサイクリングこのことは、特に「再生利用」という問題を考える場合に、大切な観点となる。
われわれは、自分たちが使っているほとんどすべての物が、適切な技術を開発しさえすれば、まず完全に再生し、利用できるものと思い込んでいる。
だが、これは間違いだ。将来、この世界が経済的に生き残っていくには、リサイクリング(再生利用)をさらに効率的に推進していくことは不可欠であり、これは言うまでもないことだが、100パーセント再処理できる方法などないのも事実である。
あきかんたとえば、清涼飲料の空罐を考えればよくわかるように、大部分の使用済み金属を見た場合、平均的た再生利用効率は、現在30パーセントとなっている。
さらにリサイクリングのためには、使用された素材の収集・運搬・処理というように、別のエネルギーが必要となって、環境の全エントロピーが増える結果になる。
したがって何かを再生利用するには、新たに使用可能なエネルギーの出費と、環境の全エントロピーの増大という犠牲が必ずつきまとうわけである。
ここで繰り返し強調したいのは、この地球上では絶えず物質的エントロピーは増大し、最後には極大に達するという点である。
それは、地球が宇宙との関連において、「閉ざされた系」だからである。
言い換えると、地球が宇宙空間と交換しうるのは、エネルギーだけであって、物質ではないというこいんせきうちゆうじんとである。
時たま地球に落下してくる阻石や宇宙塵を除いて、私たちの住む地球は「閉ざされた宇宙の水系」のままにとどまっている。
ところが、私たちのなかには、太陽エネルギーの流入によって物質を生産することができる、
と思い違いをしている人もいる。
そこで、経済学者のニコラス・レーゲソはこういう人たちに対し、次のように答えている。
「宇宙という幻想的な機関においてすら、エネルギー「だけ」から物質を創成することはできない。
その代わり、絶えず莫大な量の物質がエネルギーに交換されている」のだと。
ここで、太陽エネルギーは、それ自体、物質を産み出しはしないということを、私たちは理解しておかねばならない。
太陽エネルギーの流れをガラス容器に入れることなら、今からでもすぐにできる。
ただし、それは太陽系がヒート・デス(エネルギーが使用不可能になった状態)に至らないまでの間であって、ヒート・デスに達してしまったら、何も発生することはない。
物質が新しく生まれるためには、太陽エネルギーは地球上の物質、鉱物、そして金属という「閉ざされた系」と相互に作用し、これらのものを変換しなくてはならない。だから、新しい物質が生まれたとしても、こうした相互作用によって、が促進されることには変わりがないのである。
土壌のリサイクリングには1000年を要するそれどころか、こうした地殻を構成している鉱物などは、絶え間なく人工的に消費されている。
山はは切り崩され、土壌はまたたく間に剥ぎ取られる。
そのため、再生可能な資源であっても、しまいには、事実上、長期にわたって再生不可能なものとなってしまう。
他の一切のものと同様、土壌はエントロピー的な流れの一部を成している。
そのなかには有機物や無機鉱物が含まれていて、草の生長を助けてくれる。
しかし、土壌というのは永遠の存在ではない。
ちりでいどその大半は塵となって風に吹き飛ばされるか、あるいは泥土となって海へ押し流されてしまう。
言い換えれば、土壌とは単にエントロピー的な流れに沿って、物質が特に凝縮された結果にすぎないのでるいそうある。
短期的に、すなわち人間のタイムスケールで見た場合、岩石の累層と有機物が自然の力によって風化され、新しい土壌に変わるテンポよりも、侵蝕作用の進みぐあいが早くならないかぎり、土壌をほぼ安定した状態に維持しておくことは可能である。
かんぱつしかし、たとえ短期的に見た場合であっても、自然の力(暴風、早越、洪水など)、あるいは人間による介入の結果として、自然の補給能力以上に浸食作用のテンポが早まることがよくある。
たとえば土壌開墾のやりすぎや自然における生態系の破壊によって、土壌の非鉱物化と土壌浸食が頻繁に起こり、その結果、土壌のエントロピーが増大する。
しかも、厚さ30センチの土壌が入れ替わるのに、1000年を要するとされている。
つまり、人間のタイムスケールで見ると、土壌のエントロピーの変化は、ひじょうに現実的かつ連続的な現象なのだ。
農民なら、だれでも知っていることだが、いくら再生利用に努め、常に日照が不足しないようにしはたとしても、同一の場所で毎年毎年同じ収穫を得ることは不可能である。
今日一葉の草が生えだということは、将来同じ場所で生える草の葉が一枚減るということを意味する。
なぜなら、ほかのあらゆるものと同様、表土もエントロピー的な流れの一部だからである。
表土は草の成長を助ける有機物と無機鉱物を含んでいる。
しかし表土というのは一時的なものでしかない。
るいそうちりはじめ岩石の累層と生物の死骸や排泄物から生まれた表土は、やがては大部分が塵となって風に飛ばちんでいされるか、沈泥となって海へと押し流されてしまう。
言い換えれば、表土は永久的な固着物ではなく、エントロピー的な流れの中での、物質の特異な凝縮に過ぎたいのである。
短期的に(人間のタイムスケールで)見れば、自然が岩石の累層と有機的廃棄物を分解して、新たな表土に変えるよりも速く浸食が起こらない限り、表土はほぼ安定した状態を保っている。
しかし、それでも、表土が自然の補給能力よりも速く浸食されることはよくある。
自然の力(暴風、早越、洪水など)が働くか、人間が介入するためである。土地の過剰耕作や自然の生態系の破壊は、しばしば土壌の無鉱物化や流出を招き、周囲と違う地理学的小地域ができてしまう。
30センチの表土が入れ替わるには1000年がかかる。
人間のタイムスケールで測っても、表土のエントロピーは、紛れもなく絶え間なく起きている現象であることは明らかである。
「物質は絶えず消散しつつある」と、ニコラス・レーゲソは最初に言明した。彼は、この理論を「閉ざされた系において、物質的エントロピーは、究極的に必ず最大に向かう」と表現している。
理性ばかりでなく、感覚的な把握力がいかに大切かごの真理は、なかなか理解しにくいところだ。
なぜなら、生物学の基本的た法則によれば、すべての生物は自らをリサイクリングするとあるからだ。
むろん、これは真理であり、実は物質(そしてエネルギー)は創成されも消滅されもしないとする熱力学の第一法則を、単に繰り返し述べているにすぎないものなのだから。
残念なことに、熱力学の第二法則はたいてい無視される。
つまり、物質は絶えずリサイクリングされはするものの、そのたびに変化して衰えていくというかたちで、代償を払わなくてはならたいということが。
たとえば、地表下から金属を取り出して、それからなにか道具を作ると仮定してみよう。
この道具が存在している間、金属の分子は摩擦、疲労、傷たどのために、絶えず飛び去り、また、これら遊離した金属分子は、けっして消滅することはなく、最終的には土の中に舞い戻ってしまう。
ところが、土の中に舞い戻るといっても、今度は土壌中に散在してしまうわけで、元の金属鉱石の塊りのように、もはや有益な仕事を行なえるようなかたちにはなりえない。
また、これら土壌中にばらばらに散った金属分子を、すべてリサイクリングする方法が、将来発見されるかもしれないが、それには、やはりこの全過程において、他のエネルギーの使用という別の次元でのエントロピーの増大を必ず伴う。
エネルギーが使用不可能になった状態のことを、物理学ではヒート・デスと呼んでいるが、これにこんとん対し、物質が使用不可能になったときのことを「物質の混沌」という。
両者とも、結末はエントロピー、すなわち物質やエネルギーが散らばってしまったり、凝縮の度合いが減って有益な仕事を行なうのに適さなくなる状態のことである。
ところで、科学者のなかには長期的に見た場合、太陽は地殻に作用しているから、散在している金属分子すべてを再び凝縮した状態に戻すことができる、と考えているものもいる。
これは理論的には可能な話かもしれない。
だが人間にとっては、さほど意味を持たない。
というのは、そこで論じられている時間の尺度は地質学的単位のことであり、何十億年というスケールの話だからだ。と「エントロピーの法則」は、理性によるだけではなく、感覚的に捉えなければならない。
「エントロピーの法則」の本質は、現実そのものの本質であり、そのため、その意味を理解するには一種の直観力が必要となる。
したがって、別の角度から「エントロピーの法則」を眺めてみることも、ひじょうに有益なことである。
バートランド・ラッセルが行なった哲学的考察エネルギー・レベルおよびエントロピーを別の方法で観察する手段として、先に「集中」という言びん葉を用いたが、これをわかりやすい例で見てみるとどうなるか。
たとえば香水の瓶を開けると、香りもが洩れ、やがて部屋中に漂うが、これはどうしてだろうか。
あるいは、今度は部屋のドアを開けてみる。
隣の部屋はもっと広い部屋となっている。
すると香りは、ドアを開ける前ほど強くはないが、二つの部屋に広がる。ハートランド..ラッセル(1872〜1970 イギリスの哲学者、数学者)は、この過程について、次のように説明している。「ある部分に大量のエネルギーが集中し、その隣接部分にはほとんどエネルギーがない場合、エネルギーは一様になるまで、ある部分から他の部分へ流れる。こうした全過程を、テモクラシーヘ向かう傾向ということができる。
これは、まさしく熱力学の第二法則を理解するための別の方法である。エネルギーは常に、より集中した状態(この場合、香水の入った瓶)から、より集中していない状態(隣り合った二つの部屋)へと流れる。
その過程において、自由な、あるいは使用可能なエネルギーが、使用もしくは消費される(香りがその潜在力を失う)。
分子レベルで香りを見ることができるなら、瓶の中に詰め込められてはいても、信じられないくらい早い速度で分子が互いに「攻撃」しあっているのがわかるだろう。
ところが、瓶を開けたとたん、分子はてんでんばらばらに、より広い空間を求めて拡散し始める。
そして、広がり始めてから部屋中にむらなく行きわたるにつれ、分子が衝突し合うことがしだいに少なくなるわけである。
このように、「エントロピーの法則」をめぐって、一つの定式を見いだそうとする試みは、数多くなされてきた。
科学者にとっても哲学者にとっても、これは格好の研究材料であったことは確かである。
そのうちで、最も果敢にこの法則に反論を試みたのは、19世紀の偉大た科学者J・C・マクスウェル(1831〜79 イギリスの物理学者)とルートビック・ボルツマン(1844〜1906 オーストリアの理論物理学者)の二人であろう。
「物事を放置すれば、しだいに無秩序へと向かう」
まず、「電磁場の基礎方程式」を作り、「光の電磁波説」を証明したマクスウェルは、自ら「マクスウェルの悪魔」という架空の生き物を想定し、それによって「エントロピーの法則」と相反する現擢ま象が起こることを立証しようと試みた。
だが、近代物理学の中でも天才の誉れ高い彼の能力をもってしても、「エントロピーの法則」に対する反証を挙げることはできなかったのである。
それではと、次に挑戦したのがボルツマンであった。
彼は、古典力学が、「エントロピーの法則」によって徐々に侵されていくのがしのびなかったのである。
そして、彼の用いた「H定理」は、たしかに見事なものであった。
だが結局、彼の確率理論のほうに矛盾があることを証明したにすぎなかったのである。
ここで、さらに「エントロピーの法則」を別の角度から述べれば、外界と接触していたい系(閉ざされた系)におけるエネルギーは、すべて秩序ある状態から無秩序な状態へ流れる、と言い換えることができることを、再度強調しておきたい。エントロピーが最小の状態は、使用可能なエネルギーが最大で、最も秩序化された状態であると言える。
反対に、エントロピーが最大の状態とは、使用可能なエネルギーが完全に使用・拡散されたときを言い、最も無秩序な状態なのである。このことは、私たちの日常感覚と共通したものである。物事は自然のままに放っておくと、しだいに収拾のつかない状態になりやすい。
家庭においても、仕事においても、ちょっと手を抜くと、すぐに整理がつかず、雑然となってしまう。
これを元の状態に戻すには余分なエネルギーが必要となる。
たとえば、数も組もそろったトランプのカードを考えてみよう。
この状態は最も秩序ある状態で、ゆかエントロピーが最も小さい。このカードを床に放り投げると、ばらばらに散らばって雑然として、無秩序な状態となる。
しかもカードを一枚一枚拾い上げ、元のようにそろえるためには、最初床に投げたとき以上にエネルギーが必要となる。
つまり、先にエントロピーから見た水と氷の関係のところで述べたように、ある場所でエントロピーの増大を逆転させるような現象を起こせば、その周辺の環境のエントロピーは、総体として増加するということが、日常レベルの問題に関しても実感できるわけである。
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